いまここに、あるもので

わざわざ要らないものを遠くから持ってくることないよね

文学の必要性 その1

もうすっかり過去の話になっているが、

お笑い芸人の人が芥川賞を取り大ベストセラーになり、

100万部超えとか映画化とか景気のいい話が続いていた。

これを錬金術にしないとと出版界全体が鼻息荒くしている感じがした。

週刊誌のつり広告に「又吉の同級生にインタビュー」みたいな記事があって

笑いそうになった。

もう何でもいいからお金にしたいのだ、と思った。

 

作品自体は一定のクオリティはある秀作なのだろう。

選考委員はみな名のある作家でプライドがあるはずだ。

いくらお金になるからといって粗悪品を推すようなことはしないだろう。

 

作品を読みたいとは全く思わないが、選評だけは読みたいと思った。

毎回「候補作品を読むのが苦痛」と言い続けている村上龍が、

どんな風に評価しているのかを知りたかった。

 

芥川賞-選評の概要-第153回|芥川賞のすべて・のようなもの

相変わらず冷静で鋭い人なのだろうと感じたが、

苦痛だと言わなくなったのが気になる。

 

2000年代から出版不況と言われており、

私も、雑誌や小説を買う頻度が著しく減っている。

 

私は、誰が芥川賞をとっても全く読みたいと思わない。

 

  • もう純文学を楽しめない

いつからか小説とか純文学に全く興味が持てなくなった。

学生時代は読んでいたし、20代半ばくらいまでは辛うじてまだ興味があった。

 

純文学は主に自意識の葛藤が描かれる。

でも今の私には自意識よりも自活の方が優先だ。

今日のお夕飯、明日のお弁当、次のデートで着る服、半年後に行きたい場所。

収入と残金を計算することの方が大事で、そして楽しい。

すっかり即物的になってしまった。

 

それは私が30代半ばになり、自意識を持て余す年齢をはるかに過ぎたからというだけではない。

 

私はいわゆる安定している仕事に就いていない。

今の生活が何年も、何十年も続くという前提で生きていない。

自意識と呑気に葛藤する余裕がない。

 

親元から学校に通ったり、終身雇用の会社に通勤している人たちだけが、

自意識を持て余して楽しめるのではないだろうか。

「このまま何の変化も無い生活でいいのだろうか」

「このままレールに乗っていれば不安はないけどそれでいいのだろうか」

といったように。

『安定』を自明にして生きている人達だ。

 

雇用も未来も不確定な今の社会で、そういう人たちは以前より大分少なくなっている。

これからもっと減るだろう。

 

何年も先のこと、生きる目的や意味を考えるのではなく、

数ヶ月先のこと、今出来ること、財布に残っている小銭を考える人が増える。

 

後者は生きるための哲学とか抽象的なものより、経験やノウハウ、知恵など実際的なものを欲しがる。

でも今までの純文学は、苦しみや葛藤を描写するのが主で、

実際的な智慧をほとんど伝えていない。

 

それは悪いのではなく、ただそういうものなのだ。

純文学そのものが変わらない限り、読者は更に減ると思う。

 

 

  • 作家たちとのズレ。

作家たちはずっと尊敬されたりアイドル視されたりしてきた。

太宰治芥川龍之介三島由紀夫川端康成村上龍・春樹と山田詠美

 

私も例に倣って村上龍は好きで小説もエッセイも沢山読んだ。

山田詠美も数冊読み、『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』など

好きな作品もある。

村上春樹だけが今昔問わず好きになれなかったが。。)

二人とも、とてもシャープでマイノリティに近い感覚を持っている書き手だと思っていた。

 

最近、久々に村上龍山田詠美作品をチラ読みしたのだが、

あまりにも自分の感覚とずれているように思えて驚いた。

 

まず村上龍の新刊『オールド・テロリスト』

今までのようにマイノリティな少年・青年ではなく、老人たちが活躍する作品。

村上龍も還暦を過ぎ、若者を描くことが不自然になってきたのか。

平易で情緒の感じられないタイトルも好きではない。

 

しかし一番ずれを感じたのは別の箇所だ。

主人公の47歳の男は『希望の国エクソダス』の主人公でもある。

ライターだった彼は、連載を持っていた週刊誌が廃刊になって、収入が激減する。

妻との仲もこじれ離婚に至り子供とも離れ、プライドもずたずたになる。

三流雑誌に細々と記事を書いて月12万程度の収入得て、

4万のアパートで一人で暮らし、絶望の淵にいる。

 

これが全くリアリティも無いし、一切同情も湧かない。

何故って私も月12万程度の収入で、同程度の家賃のアパートで暮らしているからだ。

そして独身一人暮らし。

でも倍以上稼いでいた時分より、時間も気持ちも余裕があり優雅に暮らしている。

私と同じようなライフスタイルの20代、30代はかなりいると思う。

 

月12万で家賃が4万で、独身で慰謝料や養育費を払っていなかったら、

余裕で暮らしていける。それも結構楽しく。

酒なんか飲んでないで瞑想かジョギングでもしてればいいのにとしか

思えないのだ。

「転落の描写がすさまじくどーの」とこの本の評を書いている新聞記者もいて、

うんざりしてしてしまった。

実際その収入で生活してから書けやボケ、という気持ちになった(笑)。

 

村上龍作品にリアリティを感じられなくなったのは悲しかった。

いつまでもシャープな人でいて欲しかったから。

 

でも彼は20代初めで芥川賞をとってベストセラーになり、何百万というお金を手にしている。

その上世界で最も運の良い先進国のベビーブーマー世代だ。

その豊かさゆえに、彼は月12万で生活することが、「わからない」「想像出来ない」。

新聞記者や出版界にいる人たちも高給取りなので、同じく「想像も付かない」。

 

風邪を引いて死にそうだと大騒ぎしている人を見ている気になって、

本にも書評にも興ざめしまった。

 

そして山田詠美の数年前の作品『無銭優雅』。

こちらも何とか賞を取ったもので、キャッチコピーは「恋は中央線でしろ」。

40を過ぎた男女の恋愛ものということでかなり期待して読んだ。

 

ちょうどフランス映画『恍惚』を見たばかりで、

ファニー・アルダンのセクシーさと皺の美しさに圧倒されていた。

40過ぎの男女のセックスと嫉妬が魅惑的に描かれた映画で、

それに近い魅力を持っているのではと思ったのだ。

 

しかし最初の数行で嫌になってしまった。

ずっと前の作品『ラビット病』のおじさんおばさんバージョンにしか思えなかった。

恋はいつも大人を子供にしてしまうもの、というのがテーマだったのかも知れない。

それを考慮しても活字にする価値があるものとは思えなかった。

 

登場人物の持つ自意識が稚拙だったからだ。

熟成されて発酵した自意識ではなく、ただモラトリアムを引き伸ばしただけの自意識。

主人公が小生意気な姪っ子にいちいち目くじら立てるのも色気がない。

 

『ベッドタイムアイズ』も『ソウル~』も、最初の一行で読者を引きずりこむ引力があったのに、

この作品は「エイミー風に書いたブログ」としか思えなかった。

 

『オールド・テロリスト』の主人公も、村上龍も、山田詠美も、共通点があるように感じた。

月収12万になった主人公は、きっともともとがもらい過ぎだったのだろう。

現代は本が売れないのではなく、今までが売れすぎだったのだろう。

 

本や雑誌が売れていた理由のほとんどは、それら自体に魅力があったのではなく、

代替品が無かったから、というだけだ。

 

勿論二人の作品はそれ自体に魅力があったから売れていたのだけど、

「作家であること」が二人にとって「自明であること」「慣れたこと」になっているように思えて悲しかった。