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スローに働いて、スローに遣う

労働から活動へ、消費から生産へ、利益から恩恵へ

男性受難の時代 その3 タイラー・ダーデンの呪縛

www.youtube.com

 

 

"Fight club"

今から16年前の映画。

原作はもっと前、20年前の1996年に出版されてる。

初めて見た時から大好きになり、繰り返しよく見ている。

 

映像の美しさ、気の利いた台詞、登場人物のユニークさ。

 

エドワード・ノートンが大好きになった。

「僕らの世代の不安をきちんと描いている作品だからオファーを受けた」

とインタビューで応えている。

演技が上手いだけなく、知的で思慮深い人だと思った。

 

ラストシーンでは私の大好きなPixiesが使われている。

初見は鳥肌が立つくらいTouchingなエンディングだった。

 

刹那さ、美しさ、滑稽さ、オーガズムに近い快感。

もう取り戻せないという焦燥感と諦め。

それら全てが伝わってきた。

 

あのシーンのために、Pixiesが書き下ろしたと言われても

信じてしまうような完成度の高いラストシーンだった。

実際"Where is my mind?"が発表されたのはもっと前だ。

 

"Fight club"の内容は割愛する。

 

ずっと私はあの映画のテーマを「消費社会からの解放」だと思っていた。

その後「かなりピュア度の高いラブストーリー」なのだと思った。

そして今は「タイラー・ダーデンからの解放」だと思っている。

 

ブラピが演じたタイラー・ダーデンは理想の男性像だ。

と言っても、女性からじゃなくて、男性目線の理想像。

 

タイラーが体現する男性像は、カウボーイが反映されていると思う。

煙草の吸い方や空き瓶の捨て方、

ジョッキの持ち方、体型、乱暴だが気の利いた物言い。

アメリカのマッチョイズムそのものだと思う。

 

"Fight Club"に登場する男性陣は皆、

消費社会から与えられたイメージを信じて労働し消費し続けている。

そこにタイラーが現れる。

そして皆が消費社会から抜け出せる可能性を感じた。

 

しかし、タイラーも与えられたイメージの一つに過ぎなかった。

彼らが小さな頃から繰り返し植えつけられてきた、

男らしさのイメージだから。

 

ノートンとブラピの会話でとても興味深いものがある。

「俺は父親を知らない」

「僕もだ。6歳の時に家を出てった。」

ジェネレーションXと呼ばれる彼らの世代は、

離婚家庭で育っていることが多い。

一番最初に生き方のモデルとなる、同性の親が居ないのだ。

 

生身の具体例が側にいないことで、

男らしさのイメージは誇張され、湾曲される。

 

タイラーは確かに格好いいかも知れないが、

彼の体現する男らしさは異常だ。

 

頭が良くて、体力も抜群で、

カリスマ性があって、自由。

一日一時間しか寝なくて、喧嘩を負けたことが無く、

必ず成功する戦略を持っており、精力も抜群。

 

でも必ずしも女性がそういう人を好きとは限らない。

そこまで頑張らなくてもいい(笑)と思っているだろう。

 

ブロンドの美人で、

胸とお尻が異常に大きくて、

ウエストと足首が異常に細くて、

子猫みたいな声と性格で、

料理が一流シェフクラスで。。

 

みたいな女性を誰もが望んでいないのと同じだ。

別にそこまでと思うだろうし。

トロフィーワイフが欲しい人は別かも知れないが。

 

そしてタイラーの男らしさには持続性が無い。

40歳とか50歳過ぎてタイラーで居続けるのは難しい。

せいぜい37歳くらいまででしょう。

 

ラストシーンで主人公はタイラーを自らの手で葬る。

その後、彼はとても穏やかでリラックスしているように見える。

 

タイラーが現れる前、主人公は不眠とストレスに苛まれていた。

タイラーが現れた後、毎週カタルシスを得ることは出来た。

しかし混乱から抜けることは出来なかった。

 

"Where is my mind?"の状態からやっと抜けられたのが、

あの数十秒のラストシーンだったということだと解釈している。

 

男らしさのイメージから解放された瞬間。

 

先進諸国で(だけじゃないかも知れない)

蔓延する「一人前の男」のイメージは、

段々と意味を為さなくなってなっているのかも。

 

定年まで稼いで、家を買って、家族を作って養って。

いつまでも強く頼れる存在であること。

CMとかテレビとか、両親から聞かされる理想、全てだ。