いまここに、あるもので

労働から活動へ、消費から生産へ、利益から恩恵へ

文学の必要性 その2

それでは

私にも社会にも、文学はもう必要ないのかというと

そんなことはないと思う。

 

必要というのは、

教養とか義務とかで読むこととは異なる。

どちらかというと遊びの延長みたいなものではないだろうか。

夢中で欲せるもの、だ。

 

  • 私が必要としていた文学

子供の頃は想像力を刺激するような作品を欲して読んでいた。

大泥棒何とか(プレッツェルみたいな名前)、

ライオンと魔女、エンデ作品、とっとちゃん。

 

内容はほとんど忘れたが、

推薦図書のほとんどは、子供の想像力の基盤を作るのにとてもよいと思う。

 

思春期の頃は分かりやすい人生の辛さや哲学が必要になるのかも知れない。

しかし私は中学生の頃に推薦図書をほとんど読んでいない。

というより部活以外に一体何をしていたのか思い出せない。。。

 

武者小路実篤「友情」、山本「路傍の石」は読んだが、

正直言って何も感じなかった。

私にとっては教養でしかなかった。

車輪の下」も「にんじん」も「人間失格」も読まなかった。

 

十代半ばになると、村上龍ばかり読む日々が続いた。

最初に読んだのは覚えてないが、

「シックスティナイン」のあとがきが衝撃的で印象的だった。

「楽しんで生きないのは罪である」と書いてあったからだ。

「だからこの本の中で、

 楽しんで生きていない人のことは徹底的に悪く書いた」と。

 

こんなにもはっきりポジティブなことを言う人を私は知らなかった。

 

周囲の大人やメディアの中の彼らも

「人生はこんなに大変なんです。」といつも言っていた気がする。

 

だったらわざわざ生きていたくないなと思っていた。

6歳から通勤ラッシュにもまれ1時間半もかけて通学していたので、

あと何十年も同じようにして過ごすなら死んだ方がいいなと真面目に思っていた。

それが人生なのだと考えていた。

 

でも村上龍が人生は辛いとか我慢が美徳だということを

作品でもエッセイでも言ったことが無かった。

 

私の高校時代は女子高生ブームと重なっており、

援助交際安室奈美恵、コギャルなどが随分話題になった。

今思うと色んな大人がテレビや雑誌で

「けしからん!」「物申す」的なことを言っていた。

ルーズソックスが娼婦みたいだと文句を言ってる人もいた。

 

それを見聞きすると私は猛烈にいらいらした。

しかしその理由も分からず、言語化も出来ないので余計にいらいらした。

彼らの偉そうな態度も腹立たしかったが、

もっと別の違和感が自分の中にあった。

 

「金とブランド品にしか価値を置かない女子高生は、

 日本の現在の価値観をなぞっているだけ」

と言ったのは村上龍だけだった。

 

本当にその通りだと思った。それを聞いてかなりすっきりした。

 

私は教養のために彼の作品を読んでいたわけではない。

具体的なメリットがあった。

モノの見方や考え方がシャープに変わる、

感情や思考を整理できる、

ベルベッツやゴダールなど、触れるべき音楽や映画を知ることが出来る。

 

20歳を過ぎた頃、トム・ロビンスに出会った。

映画「カウガール・ブルース」の原作者だ。

原題は"Even Cowgirls get the blues" このタイトルも絶妙で大好きだ。

 

監督はガス・ヴァン・サント

若きユマ・サーマンがヒロイン役という贅沢な条件にも関わらず

映画は駄作だ。

 

理由の一つとして考えられるのは

2時間ちょいで原作の面白さや深みを表現するのは不可能、

ということだ。

 

トム・ロビンスの作品は、

「哲学的」「百科事典のよう」「マジックのよう」「挑発的」

と形容される。

 

長編で英語力(+国語力)をかなり必要とするため、

私も3作くらいしか読めていないが、

「カウガール~」だけ読んでも充分にその凄さが分かる。

 

知識と想像力と経験を駆使して、智慧とユーモアを搾り出す。

はっきりとしたWisdomが彼の作品にはある。

きっと読んだ前と後ではモノの見方と考え方が変わる。

 

読書というより体験に近く、

人生に有益なものが詰まっていて、とても実際的なのだ。

歴史や宗教、地理などの知識も多く詰まっている。

 

現実逃避や現実を肯定するため小説は多いけど、

現実を変えるために書かれた小説は少ないと感じる。

 

トム・ロビンスは後者で、

日本でもそういう小説家が出てきたらいいのになと思う。

 

  • 最近の小説に対して思うこと

自分と同世代の作家の本をたまに図書館で借りて読む。

才能もあるし、技術も高い人たちなんだろうと素直に感じる。

 

でも文脈が新しくない、というか。

小説を書くときの基盤やスタートが純文学的だと感じる。

とてもクラシックなのだ。

 

もっと自由な書き手が現れたら面白いのになと感じる。

私が知らないだけでいるのかな。

 

ちなみにトム・ロビンスのテーマはいつも「自由」で、

彼の作品を読むと、

「自由」が体を持って目の前に現れたような錯覚すら覚える。