スローに働いて、スローに遣う

労働から活動へ、消費から生産へ、利益から恩恵へ

美味しい食事より満たされる食事

私は料理上手ともグルメとも程遠い。

何せ中学校くらいまでレタスとキャベツの見分けが付かなかったぐらいだ。

そのせいでインスタントラーメンにレタスを入れてしまい、

あまりの不味さに驚いたこともある。

 

そこまで疎い私の、

食に対する認識を変えてしまうような出来事が3年近く前にあった。

 

場所は又してもインドの山奥、ラダックだ。

 

そこはチベット系ではなく、

アーリヤ系の少数民族が住む小さな村だった。

宿は、電気が通っておらず、

外のトイレは窓にガラスがはまっておらず、

シャワールーム兼洗面所には、桶と蛇口しかなかった。

 

部屋には虫が死んでいて、

夜になると布の天井を猫と鼠が追いかけっこしていた。

 

ある意味本格派だった。

 

夕食の時間となり、

地下にあるキッチン兼ダイニングに降りた。

 

ろうそくが数本燃えていて、

宿の主人とその家族、近所の住民が二人が居た。

 

10歳くらいの息子が暗い光の中で英語の宿題をやっていた。

主人がパンらしきものをこねていた。

玉ねぎやトマト、じゃがいも、チキンが一緒に

煮込まれていい香りがしていた。

そしてぶどう酒っぽいお酒が瓶に入っていた。

 

全て彼らが自身で作った、ホームメイドだった。

 

別の日に母親が黙々とじゃがいもを堀り、

いっぱいになった袋を小さな弟が引きずって歩くのが、

私の部屋から見えた。

 

英語を解するのは主人と息子だけで、

後のメンバーはラダック語とも異なる言語を話す。

 

言ってることが全く分からないのに、アウェイな感じが一切しなかった。

西洋の人たちと集団でいると、

話していることが分かってもアウェイな気持ちになるときがあるのに。

 

いつの間にかシチューと蒸しパンが出来上がって、

皿に盛り、ろうそくの光の中で食べる。

 

美味しいけれど、簡素で、

決して派手なご馳走ではなかった。

 

一時間くらい飲食して片言で話してを繰り返していたと思う。

 

ふと、シンプルな食事で量もそんなに食べてないのに、

かなり満足感があることに気づいた。

 

「あー食ったな」とも「あー旨かった」とも異なる感覚。

必要なものを過不足なく摂取した感じ。

 

それは初めてか、20数年ぶりの体験だった。

多分それ以来満たされる食事、を経験していない。

 

化学肥料が一切入っていないこと、

場の雰囲気、

それまでの食経験、

色んな理由が考えられるけど、分からない。

 

美味しい食事より、満たされる食事の方が良い。

幸福感がより高いのは後者だ。

そして、飢えを喚起しない。

 

こういう食事のあり方が普及すれば、肥満も飢餓も減るのかも知れない。