いまここに、あるもので

わざわざ要らないものを遠くから持ってくることないよね

マネーと共に生きる その5 時代にそぐわない『豊かさ』にしがみつくことは苦しみでしかない

前回紹介した、消費しつくして自滅するアメリカ人から数年後の世界です。

 

 オレゴン州ポートランド中流家庭がある日貧困層

 

『アメリカ冬の時代〜転落する中産階級 前編』




アメリカ冬の時代〜転落する中産階級 後編

 

2013年のドキュメンタリーです。

生活困窮者向けのホットラインに連絡してきた家族を取材しています。

 

 

昨年2016、私はポートランドに滞在しました。

そこで『低所得を選択し社会活動に集中している人達』に出会いました。

 

60年代の学生運動のような貧乏臭さや排他性とは無縁で、非常に軽やかな人々でした。

所有を最低限にし、行政を巻き込んで、地元のコミュニティを生かす。

 

私が出会ったアクティビスト達と生活レベルはほぼ変わらないはずなのに、

動画の家族達の生活も思考も想像力も、あまりに貧しくて驚きました。

 

お金がないことよりも、お金がない自分にショックを受けている

 

取材されているのは20代から50代の、子供が居る家族です。

働き盛り、と形容される世代の人々。

 

家を買い、車を買い、子供の教育費を払っていたのに、ある日解雇。

失業保険が終わるまでに転職できるからと思いきや、出来ない。

収入源がないのに、出て行く費用は変わらない。

そのうちライフライン、医療費、電気代、水道代に困るようになる。

 

数十ドルすら払うのが辛い自分に嫌悪を持つ。

子供に夕食を作って遣れない自分が許せない。

子供にお金の心配をさせる自分を受け止められない。

 

フードスタンプをもらって無料で食べ物をもらう自分。

大卒なのに廃品回収して小銭を稼ぐ自分。

 

これはプライドの問題です。

モノやサービスがないことではなく、

それらを享受できる立場にないことにショックを受けているんです。

 

前編で、息子に夕食を食べさせることが出来ず取り乱す母親が印象的です。

「僕はそんなに心配してないよ、世界の終わりじゃないし」

そういう息子の口調は落ち着いています。

彼の言うとおりです。一食ぐらい抜いても死ぬことはありません。

でも母親泣き出してしまう。

親達の動揺が子供に伝わります。

 

自己責任なのに肥満体の人々、の矛盾

 

彼らは善良な一般市民であると思います。

批判や糾弾する気は全くありません。

 

ただ違和感を感じます。

 

彼らは自助、自立の精神(自己責任)を持っていると思います。

だからこそ仕事も探すし、どうにかして子供にご飯も食べさせようとする。

 

でも、やっぱり肥満気味なんです。

それは口に入れるものを自分で選択していないということです。

食べ物の背景にある事実を知ろうとしないということです。

 

アメリカで健康的な食べ物を探すのは簡単ではありません。

有機野菜は値段も張ります。

でもアクティビスト達で肥満体の人はいませんでした。

低所得でも食べ物をきちんと選択(または育てる)しているのです。

 

大きな家やテレビ、高すぎる教育費を払うことよりも、

資本である体を育む食べ物にお金を遣うことが大事だと知っているからです。

 

このミドルクラスの人々は善良ですが、

自分の身の回りの情報に対して実は非常に受身です。

アメリカ人の積極性を持っているように見えて、

それも受け売りでしか過ぎないのです。

 

彼らもイメージを吸収して生きてきた人です。

ミドルクラスとしての幸福をなぞってきたから、

その規格からはみ出てしまうとどうしていいか分からないのでしょう。

 

最も子供に影響を与えるのは、親の人生への態度

 

途中で電気代が払えないと仮定して、蝋燭をつけてブログを書いてみました。

なかなか素敵な時間でした。

 

動画では小学生から高校生までの子供達にもインタビューをしています。

その内容が私には、ぞっとするものでした。

一般的には美しいし、そして良い子供たちなんでしょうけれど。

 

「私は両親にお金を貸してあげてもいい」

「いつかお母さんに家を買ってあげたい」

「大学に行って、いい仕事に就きたい」

「普通の暮らしでいい。家があって犬がいて、子供が二人」

最後の言葉は10歳に満たない少年のものです。

 

子供達がいかに両親に影響されているかがわかります。

価値観をそっくり受け継いでいるかが。

 

「いい仕事があっても解雇されたら終わりだから、大学に行くことに疑問を感じる」

「食べ物や電気って買わずに自分で作れないのかな」

「こんなに真面目に生きているのに苦しんでるっていうことは、

 両親はどこかで選択を間違えているのでは」

そういった疑問を口にする子供はいません。

 

堀江貴文の言葉を思い出しました。

「小さい頃から親も教師も馬鹿だと思ってたし、実際馬鹿だった」

かなり乱暴な言い方ですが、

彼が幼い頃から自分で思考する人間だったことが伺えます。

 

転落ではなく、変化ではないだろうか

 

60年代から90年代に言われていたような中流階級、は

先進国において今後激減するでしょう。

 

でもそれはただの変化です。

家が買えないのではなく、買わなくてよい。

車が持てないのではなく、持たなくてよい。

大学に行けないのではなく、行かなくてよい。

 

10年後かもう少し手前か、日本でも同じようなことが起きる気がします。

でもそれはそんなに怖がることではないでしょう。

ただ、年寄りやメディアが闇雲に若い人を怖がらせるのではないか、

それだけが心配です。

 

最後に気になるのが、子供の言葉。

「大学に行って、いい仕事に就きたい」

彼らが成長した時、15から20年後の『いい仕事』ってなんだろうか。

 

職種も、スキルも、給与額も、働き方も、

私には全く想像できません。